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東京電力福島第一原発事故をめぐり、吉田元所長から当時の状況を聞いた「聴取結果書(吉田調書)」の全容が判明した。
2号機の原子炉水位が低下し危機的状況となった事故発生4日目の2011年3月14日夜を思い起こし「われわれのイメージは東日本壊滅。本当に死んだと思った」と述べるなど、過酷な状況下の心情を吐露している。(2014/08/30共同通信より)
3月14日夜、わが家は翌朝の避難の準備を終え、「最後の晩餐」をとった。「わが家に翌朝はあるのか?」 最悪の事態と、家族で積上げた団欒とが、何度も何度も頭をめぐる。
夜が明け、行き先のあてもないまま、わが家を後にした。「どこへ行けばいいのか」誰もわからない。そのとき、その場で、自分で決めるしかない。
結果として、わが家は実家のある東京へ向かった。だが、その判断は誤りだった。吉田調書から、原発事故への認識の甘さを反省した。
気づくと、「最後の晩餐」から3年半が経ち、わが家の晩餐も日常に戻った。いまの現状を守るために、死闘した仲間がいる。その仲間が、死闘の限界を伝える。夕飯を食べながら、自分の想いを家族に伝えた。
「パパは、原発の力を甘く見過ぎていた」
「(原発事故時に)東京へ避難したのは誤りだった」
「北へ、北海道まで逃げるべきだった」
「原発とは逆方向へ、もっと遠くまで、逃げるべきだった」
「(そして)東京の親には、こう告げるべきだった」
「わが家は北海道へ避難する、(だから)心配するな」
「いま原発では、大変なことが起きている」
「東京も危ない、(だから)いますぐ西へ逃げろ」
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